西日本新聞 平成21年 9月16日 |
南日本新聞が一日遅れで、 9月17日の報道となりました。
南日本新聞 平成21年 9月17日 |
竹原さんが写っていますが、竹原さんがシャッターアート事業を企画したのではなく、竹原さんが副市長として呼んだけれど、職員労働組合側の多数派議員が反対したことで企画調整課長として採用となったかたなんですけどね。(^_^;)
当時の竹原さんは、さほどシャッターアートに関心があったわけではなく、インターネットで色々と調べて清田先生を見つけた企画調整課長の勧めで、数件のシャッターアートを試しに清田先生に描いてもらうことになったわけです。
(^-^;
この取材があった日に描きあがるようなスピードで描いていくわけですから、報道陣もカルチャーショックを受けたでしょうね。
単なる上手で綺麗な絵ではなく、大道芸的な要素もあるわけですから、その辺から竹原さんも清田先生のシャッターアートに関心を持ったのかも知れません。
もちろん、アンチ竹原の職員労働組合や組合側の市民が危機感を感じたとも思われます。
確実に市の内外に注目されますから、竹原さんの実績となることを恐れたわけですね。
ゆえに、市の事業として描くからシャッターと言う場所を提供するだけのことであっても、職員労働組合の目が気になり、なかなか協力したがらないお店もあったわけです。
まぁ、それでもシャッターアートの枚数が増えていくごとに、アンチ竹原のスタンスのお店であっても「描いてもらえませんか?」と清田先生に頼みにくるかたもありました。
もちろん、竹原さんのほうでもそう言うことは問題にしませんでした。
「竹原支持者の店は利用するな!」などと言う職員労働組合やそちら側の市民ぐらいのものです。そう言う公益を考えられないような市民はね。
ちなみに、
子どもたちには、そう言う大人のつまらない事情は関係ありませんから、阿久根市のシャッターアートが増えて行くことが楽しみになりましたとさ。
(^^ゞ
樋口家具店倉庫 |
時間をかけても、この絵と同程度の絵を描ける業者や画家は阿久根市にも存在しませんし、近隣の市外にもいません。
時間がかかると言うことは、シャッターアート1件の単価が相当高額なものになりますから、阿久根市が当初予定していた500万円程度の予算ではコンテストをやろうにも描き手が集まるはずがありません。
仮に集まったとしても、素人の絵では観光につながるはずがありませんし、プロだと街を埋めるぐらいの件数がかけるはずがありませんよね。
そう言う事情がありまして、清田先生が「好きな絵が描けるなら日当程度になればいいよ。」と言うことで清田先生がほとんどの絵を描いてしまうことになったわけですな。
まぁ、阿久根市の職員労働組合やそのとりまきの心ない市民の話は他の記事でも書いていることでありますから、今日はこの辺にしておきます。
文章:さつま通信 上之原稔
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